ゴロゴロするのに忙しいは真である
「ゴロゴロするのに忙しい」
こんなことを誰かが言っていた気がする。
覚えていないが、クレヨンしんちゃんかもしれない。
本来ならば単なるギャグとして捉えるべきであろうが、私はこの発言がおかしいとは思わない。
真面目に捉えてみる
まず、次の一連の流れを詳しく整理してみる。
みさえ :「ヒマなら手伝ってよ」
しんのすけ:「ゴロゴロするのに忙しいからダメ」
作中でこのような会話がなされたことがあるかはわからないが、なんとなく想像できる場面だと思う。
ここでしんのすけが取るべき行動について、両者の考えはこうだ。
みさえ : 手伝い > ゴロゴロ
しんのすけ: ゴロゴロ > 手伝い
(ちなみにみさえはゴロゴロすることをヒマだとしているが、とりあえずイコールだとする。)
みさえとしては、ゴロゴロするするのはいつでもできるし、それよりも自分ないし周りの物理的負担を軽減させる行動を優先するべきだと主張している。
一方、しんのすけとしては、行動をお手伝いに切り替えることによる周りへの影響よりも、現状を維持することによる休息を優先したいと主張している。
どういうことか
自分の行動は意識的・無意識的に関わらず、優先順位で決まる。
その判断軸は、緊急性、予定が入った順序、自分や他人への影響度、物理的・精神的コスト、充足感などであり、
行動はこれらに重み付けを行った総合評価の結果である。
例えば、どんなに予定が入っていようが、家族が事故に遭ったとなれば、
「病院へ向かう」という緊急性や影響度などが高まり、その行動の優先順位は格段に上がる。
反対に、その他の優先順位は下がるのだ。
この仕組みは理性的な人間であるか感情的な人間であるかは関係ない。ただそれが意識的な判断であるのか無意識的な判断であるかの違いである。
自分と他の人の価値観
どのような判断軸が存在するのかは人によって大差ない。
人によって異なるのは個々の判断軸の重み付けである。
またそれ以上に、自分の行動対してに適応する重み付けと他人に行動に対して適応する重み付けが大きく異る。
みさえだって自分がゴロゴロしているときに、何か手伝いをするというのは億劫なはずだ。
従って、みさえはこのことを理解した上で、
しんのすけの「お手伝い」という行動の優先順位を上げるような対応をとらなければならない。
ここにその人の気持ちになって考える、ということの重要性がある。
その対応例が「ガミガミ言うこと」や「グリグリ攻撃」であって、
「お手伝い」よりも「ゴロゴロし続けること」によって発生する負担を上昇させて、相対的に「お手伝い」の優先順位を上げることなのかもしれないけれども。